駄文17

インターネットアンヘルシーメンタル病患者

手首を切るより爪を切れ

血が出ない程度に深く。

 

心がもにょもにょした時に昔のブログやらTwitterのアカウントを引っ張り出してきて、色々書きなぐるヤツ、いつになったら止められるんだろう。

このブログにもくっせぇくっせぇくっせぇわ(流行に乗っている、乗れていない)な文章を書き散らかし転げ回った記事がちょこちょこあって、ただ流石に僕ももう30歳なので、見返して恥ずかしいよりも懐かしいが勝つぐらいには成長したのか、それとも心が鈍感 aka 退化したのか、いや「老い」という言葉がもっとも相応しいのだろうな、と思うなどした。

 

もうこのブログを更新したとして、目にする人間がどれだけいるのだろうか、そしてその中に私を知る人が一人でもいるのだろうか、というのを考えたりする。

僕にとって自分の中身を誰かに見られる場所に文章として叩きつけるのは、自分の中に溜まった膿を吐き出す行為と同義で、それは大変に醜いので「そんなことをするな」と苦言を呈す人とか妻もいるのだけれど、かと言って膿を溜め続ければ不健康になり、いつかは死んでしまうのです、ずっと死にたいくせにね。

 

2015年には大好きだった人と別れたり別れなかったり終わったりして精神が滅茶苦茶になったまま2016年になって就職して、そこから気がつけば5年も経ってて、あの頃好きだった人たち、からあげちゃんとか、ちさぴろとか、あさかわみちかとか女子高生チームも成人を通り越して当時の自分に近い年齢になってるんだろうなって思うと、各々活躍していて欲しいと思う反面、死んでいて欲しくはないけど生きていたくないレベルの人生を歩んでいて欲しいと思ったりもするのです、性格が悪いので。

「僕は絶対にお前たちを忘れてやらないからな、お前らが僕のことをそんな人もいたかなぁ、って思い出せずにいるところを、僕はお前らを思い出して一人で悲しくなったりしてやる」という類いのことをよく言ってた気がするけれど、それは本当にそうなっている気がする、でも忘れられたくないね。

 

お前は何やってんだって話だけど、ずっと憧れていた音楽業界に入って、皆が知ってるアーティストやらと仕事して、テレビ番組に出たりもしたけど、結局給料が安かったりで辞めてしまうのだけれど、その後はもう色々あったようで、大して何も無かったような人生で、結婚して2児の父というマトモそうな立場なのに、中身はちっとも変われていないのでツラいという状況な訳です、立場上もう気軽に死にたいなんてとても言えない訳です。

唯一マウントを取れるとしたら地方在住の30歳で年収が600万ぐらいってことだけれど、都心で働いてたら皆普通に貰えてる額なんですよね、しかも現実問題として生活はそんなに楽ではないし。

 

結婚して、子供がいて、楽じゃないけど困窮するようなことのない生活をして、それでも死にたいというのはもう何があっても拭うことは出来ないのだろうな、と最近思うのです。

昔みたいにお酒飲んで前後不覚で遊び回ったり、得体の知れないクスリを飲みまくって意識を失ったりとか、そういう突発的に死を求めることはしなくなったけれど、やらなきゃいけないこと、やりたいはずのことがあるのに見てみないフリして早々に布団に潜って一日を終えたり、沢山のことを考えるのに結果を出すことを諦めて先送りにしたり、自分の人生が少しでも早く終わるように死を求めるような、そういう諦めに近い自殺願望はもうずっと頭上の、わりと近いところで漂っているのです。

悲しいかな、僕は人生のルートから大きく足を踏み外すのが苦手なので、無責任に子供が小さいうちに息をしなくなるようなことはないと思うけれど、もし離婚だり何だりして、子供を育てるという役目を失ったら、きっとあっという間に死んでしまうのではないか、と思ったりもして。

 

人は過去が大好きな生き物で、何故なら過去は知り尽くしていて安心するからだそうです。

シラフでこんな文章を書く30歳、それがお前らの愛した僕なのです。