淡い日常
午後10時
彼からのLine通知に私はスマホに飛び付く。
「もう通話出来るよ」
それは、私が昼過ぎに送った「今夜は忙しい?」というメッセージに対する返信だった。
私は弱くてズルいので、返信は決まってこうだ。
「大丈夫になったら、かけて」
もう何度、どれだけの時間話したか分からないのに、それでもまだ彼が仕方なく電話に付き合ってくれていて、本当は面倒に思っていたらどうしよう、という気持ちが消えなくて私は最終決定権を彼に委ねてしまう。
程なくして着信音が鳴り響く、通話ボタンを押す。
「お疲れ様」「こんばんは」
二人の挨拶はあんまり合わない、でもそんなことが楽しくて私の心はいつも一瞬で浮わついてしまう。
スピーカーから聞こえる彼の声に耳を澄ます、少し言葉はキツかったりするのに、落ち着いた話し方と優しい声色、また聞いている方が明るくなりそうな笑い声が堪らなく好きで、彼との通話の時間は私の生活の一部、いや中心と言っても差し支えないものになっていた。
彼とはまだ会ったことがない、こんな風に話すようになったのもやっと一ヶ月が経ったぐらいだろうか。
共通点は同じSNSをしてたこと、お互い愛する人、今はもう愛してた人の方が私は正しいけれど、別れてしまったばかりということだった。
日々の寂しさを埋め会う関係として互いに都合が良かっただけのはずなのに、私はずいぶんおかしなことになってしまったと自嘲する。
そう、私は彼のことが好きで好きで仕方がないのだ。
彼は他人のことをひどく大切に扱う人だ。
無理だと思ったら拒絶する、という彼の口癖は、彼なりの人を嫌いにならない為の生き方なのだと思う。
もう少し適当に、他人に正面から向き合わずに生きた方がずっと楽だと思うのだけれど、彼は一人一人に真剣に接して、そのせいで傷ついたり、苦しんだりしていることを聞くと、そんな不器用な彼が愛おしくて堪らなくなってしまう。
そして、彼が向き合う有象無象の中の一人でしかないことなんてよく分かっているのだけれど、それでも過去の恋愛で散々雑に扱われてきた私には、彼の言葉が渇ききった地面に注がれる水のように思えた。
バカで惚れっぽい私だから、気がつけば彼との会話に気持ちが言葉になって溢れ出てしまうのだけれど、その度に彼は「会ったこともない人を好きになれないし、会ってもどうなるかは分からない」と私から一歩離れていく。
寂しい反面、今までを振り返れば耳障りの良い言葉に振り回されて、最後は「そんなつもりじゃなかった」とか「別にお互い本気じゃないでしょ」なんて雑に捨てられるのが関の山だったから、彼が私のことを真剣に思ってくれてるからこそ距離感を大切にしてくれているのだと思うと、私はまた一歩彼に近付こうとしてしまう。
私はもう子供じゃないから、彼に会いに行くことなんてとっても簡単なことなのだけれど、近くないけど遠くもない将来に会う約束だけをしている。
昔の私だったらこんな日記を書いてる暇が会ったら明日の始発に乗って会いに行ってただろうに、悲惨な恋愛ばかりしてきたからすっかり臆病者になったようだ。
彼に会って、好きになってもらえなかったら、それだけならまだいいけれど、もしも彼に嫌われて二度と話すことも出来なくなってしまったら、そんなことを考えると不安で上手く呼吸も出来なくなってしまう。
それでも、私は彼に会いに行く、もう少し先のこと。
「あなたの好きな人、私にしてみませんか」