駄文17

インターネットアンヘルシーメンタル病患者

ゆく年くる年、狂う歳

気がつけば年が明けている、毎年年末には一年があっという間と言うとるが、今年は年末に言ってる暇すらなかった。(そんなに忙しくも無かったけど)

昨年は3月頭に青森に赴任して、最初は上手くやっていたが会社と揉めに揉めまくり12月に帰って来たりしていた、でそのまま1月末で会社を辞める予定でいる、今回勤めた建材商社はちょうど2年の在籍期間であった。

サラリーマンとしては割と最悪な部類の一年間であったけれども、会社が全ての生活費を出してくれる青森での生活では、いつもの通り何だかんだで様々な女の子に助けていただき非常に楽しい生活を過ごすことが出来ていたし、その中の一人とはそこそこ真剣な交際をして、1月上旬からは東京で一緒に暮らしていく予定となっている、なのでまぁトータルで考えると良き1年だったのかもしれない。

サラッと書くには昨年は色々あり過ぎたんだけれども、三十路半ばともなると色々あったなぁと思うぐらいで、結局のところ毎年色々あるのである、色々(?)

 

ただ、今回のパートナーとなる方もなかなかの難アリの人なので、今年1年も幸せいっぱいとは今の時点から思えないでいる、地震も起きたし。

僕は結局いつも難がある人しか好きになれない…バカだから…本物の愛なんて一生分からん…

 

なんかもうちょっとまともな文章を書く習慣を作りたいよね、パソコン買うか。

いつも通り金は無いが、歪んだ愛は生まれた、そんな1年の始まりになりました、結婚は来年しようと思っています、終わらなければ…

 

PS

そういえば10年ぶりにからあげちゃんと会って、お酒を飲みながらお話しました。

なんかちゃんと大人になってて、偉いなってなりました。

何も変わっていないのはお前だけ…誰もお前を愛さない…

 

 

このハオルチアは枯れない

一年ぶりに訪れた佐賀の市内はほとんど変わっていなかった。

感慨深いとか、感傷に浸ってしまうとか、そういった感情が芽生えてこないことが自分でも意外だった。

 

変わらないからだな、とも思う。

東京の街はあっという間に変わり過ぎてしまうので、「 ここにはあれがあったはずなのに」 という喪失感のようなものがあったりするのだけれど、

あまりにも何も変わらないので、よく遊びに来ていた施設のお気に入りだったトランポリンだとか、家族で訪れた飲食店も全部そのままで、

きっと時々散歩した動物公園や住んでいた団地の近所の滑り台も、みな同じようにそこにあるのだろうと思う。

 

つまるところ、過去の記憶であることは間違い無いのだけれど、それが今も地続きに繋がっているような、 そういう感覚なのである。

 

一人で過ごすようになってからの数か月間行きつけにしていた居酒 屋のマスターは、一年ぶりでも僕のことを覚えていてくれて、暖かく迎えてくれた。

それだけでも、佐賀という街に繋がりできたという確かなよりどころになったりしなかったり、そんな感じだ。

 

 

最近、他者を大切に出来ていないな、と思うことが増えた。

もちろん昔から大切にしてないだろうという指摘がいたるところから来そうなのだけれど。ここ最近立て続けに5人ぐらいと出会って 二度と会わなくなってを繰り返していたので、

あんまりよくないことをしているな、と思ったりしていた。

 

と、ここまで書いていた1月末、そして3月頭の今、僕は青森に居たりする。

業務上の転勤だが、決定権はこちらにあったし、なんとなくただ「 行ってみるか」という軽い気持ちで青森に住むことになった、「結婚してみるか」と思ったあの時と少し似ている。

期限は決まっていないが、佐賀に来た時に比べるとずっと楽観的である、それは色々鍛えられたからなのかもしれないし、

「本当にどうしようもなくなったら帰れる」 という絶対的な安心感があるのかもしれない。

そう思う頃に東京に僕の居場所があるかどうかは別の話として。

 

折角だから青春したいと思ったりもするけれど、心以上に身体の老いは厳しく、

酒を飲む気にもなれないという、悲惨な今日この頃であったりする。

 

頑張りましょう、強くなりましょう、2023

それで幸せになれたかい

東京に帰る。

為の引越作業に追われている。

 

高円寺から佐賀に行く時も、佐賀のあちこちを動き回る時も、大きい物は自分がやるけど細々したものは元嫁に任せっきりだったので、取捨選択と梱包作業のしんどさに目が回るし、やりながら2度とやりたくないと思っている今日の今なので、あんなに頻繁に引越をしたがった元嫁に感心したりしている今更だ。

ましてや、家族で暮らしていた一軒家から実家の一部屋に戻るので、物凄い量の物を処分しなきゃいけない現実に苦しみ喘いでいる訳です。

 

去年の2月に引っ越した時のままにされていた荷物はびっくり箱のようで、出しっぱなしのトランクの中から今は見るだけで苦しくなる子供の写真やクラフトホリックのウェディングドールが出てきたり、あの頃は愛されてたのかなって哀しくなるような元嫁が送ってくれた手紙を読み返したり、そう思っていたら煙草の吸殻がぎっしり入ったコーヒーの缶が出てきて「結局こういうヤツだったんだよな」って離婚したことを前向きに肯定させてくれたりするので、情緒がジェットコースターになってしまっていた。

 

子供の物は相変わらず捨てれないが、流石に本当に全部取っておく訳にはいかないので大きな物から捨てていく、毎日ご飯を食べた子供椅子、遊んで帰ってきたら洗面所で手を洗うためのくまの踏み台、粗大ゴミの集積所の金属の刃物が動く穴に入ってあっさり砕けていく、家族で暮らしやすくする為に集めた家具とか雑貨が粉々にされていく所を眺めて、また少し悲しくなったりした。

幸い、今日は元職場の同僚が引越作業を手伝ってくれて、ずっと喋りながら作業をしていたので大分精神的に楽だった、一人だったら3回ぐらい死んでしまっていたかもしれない。

 

粗大ごみを捨てれるタイミングは今日が最後だったので、元嫁の父親が送ってくれた家族で寝ていたベッドも捨ててしまったので、一人で床で寝ている。

あれはちょうど3年前、高円寺の部屋の掃除が終わらなくて疲れて空っぽの部屋の床でそのまま寝たことがあった。

あの時は28歳、今は31歳、あっという間の3年間だった。

 

捨てたり、捨てなかったりして、それで幸せにはなれたのかい。

なら、それでいいんだけど。

 

あと2日で一月が、佐賀の生活が終わる。

2022年、死にたくなりたくなくなりたい。

 

 

さよなら逃避行

あっという間に2021年が終わったような、何だかとても長く苦しい時間だったような、でもそんなことは大体毎年言っているのである。

 

2021年、年明けから早々に引越作業に追われつつ、2月には第二子が産まれ、4月には転職し、7月に別居、8月には実質離婚、そして子供の顔を見た最後の日になり、そこからは寂しくも自由な日々を過ごしていたら気がつけば年末、そして東京への転職と転居を頑張る今である。

 

引越作業をしていて思うのは、余計な物というか、家には要らんものが多いな、と思う。

自分は大概モノが捨てれない、ヒトも捨てれないと思うが、実際の所は捨ててはいけないモノとかヒトの方を捨ててしまっている気がする、そして元嫁も同じ様な人間だ。

置いていく側は楽でいいよな、と大量の荷物を前にして愚痴りたくもなるが、子供を置いて東京に帰る自分もきっと楽に生きていると思われているのだろう。

 

正直、産まれるまでは子供を愛せるか非常に不安だったので、今も子供の荷物を整理しているだけでつらくなってしまう自分に対して、意外と人間らしい所もあるのだと感心したりする。

ただ、逆にこんなに理不尽に離婚を突き付けられた上で、子供とは2度と会えないという状況になった今でも、今はもう元嫁に対して怒りとかをあんまり感じていないどころか、荷物を整理しながら確かに好きだったのかもしれないな、と思えている方が少し異常なのかもしれない。

許すのは得意、許さないことは疲れるので、三宿ジーザスと呼ばれた僕です。

 

そして佐賀の街、「こんなことになるなら来なかった方が良かったって思うでしょ」なんて、ここ最近の身の上話をすると言われたりするのだけれど、本当にそんな風に思わないんだよな。

凄いお金掛かったし、人生をだいぶ無駄にしたと思われるのだろうけれど、結局は生きてる限り無駄な瞬間なんかなくって、死にたかった僕も、上手く生きれなかった僕も、大切じゃあ無いけど必要だった僕なんだろう、いや現在進行形で上手く生きれてはいないのだけど。

 

年末年始に東京に帰った時に、久しぶりの電車や東京の街並みに、懐かしさより戻ってきてしまったのだな、という感情の方が大きかった、そして東京で暮らし始めて半年もしたら、きっと色んなことを忘れてしまうのだろうと思う、人間は弱くて強いので。

 

結婚も子供も素晴らしいものだったけど、自分には向いていなかった、ただそれだけで、それが分かっただけでこの5年は十分に価値があったのかもしれない。

頑張ってもダメなことが多い人生をどうか頑張れますように。

 

さよなら、幸せだと思い込んでいられた一時に。

 

 

強くなりたいと酒を飲む弱い私の話

駅から少し離れ街灯も疎らになった大通りの先に、一際明るく佇むコンビニエンスストアが見える。
灯りに吸い寄せられる羽虫の如く、私はフラフラとその明るさに導かれてゆく。
ほんの10分ほど前に別のチェーンのコンビニで買ったストロングゼロの缶を一息に飲み干し、ぐしゃりと潰して入り口横のゴミ箱に放り込む。
冷たい夜風に曝された身体に冷たい液体が満たされる、全てが冷えきった肉体の中で胃の腑だけが少しの熱を感じていた。

 

軽快な入店音と共にガラスの扉が開いてより一層の目映さが私の目を眩ませる。
同時に熱気とも形容できそうな空気が私の身を包む、この居心地の良さに慣れてしまうと再度外に出るのが嫌になりそうで、私は早々に買い物を終えることを決意した。

 

先程と同じストロングゼロ、今度はレモンではなくグレープフルーツの500ml缶を手にしつつ、レジの前のガラスケースを遠目で見る。
何か暖かいものが食べたいという私の思惑を打ち砕くように、普段はオレンジのスポットライトで揚げ物たちを輝かせるホットケースも、水滴に満たされて白くキラキラ光る蒸し器も役目を終え、電気が消されたがらんどうの中身が寂しそうで、明るい店内で一番暗い場所のように感じた。

気がつけば何も残ってない真っ暗な部屋、私がこれから帰る部屋みたいだと自嘲する、まだ酔うには早いはずなのだけれど。

 

売れ残ったお弁当やおにぎり、ブリトーを眺めて、あれも違う、これも違うと迷っていると、目の前に大きなソーセージが飛び込んできた。
シャウエッセン史上最大!」そんな呼び文句の横に「レンジでOK!」の文字を見つけ、思わず手に取った。

ストロングゼロの缶と同じぐらいの長さのソーセージをレジに並べる、私の「あたためお願いします」の言葉にレジの留学生とおぼしき若い外国人男性は少し戸惑っていたようだったが、「開けて大丈夫」と私が言うと恐る恐る封を開け、レンジに掛ける。

 

「オマタセシマシタ」
袋はいらないといった私に丁寧に一つずつ商品が手渡され、左手にストロングゼロ、右手に巨大ソーセージという珍妙な格好で、剣と盾を装備して危険なダンジョンに潜り込む勇者が如く、暗く寒い夜道へと切り進んでいく。

「アリガトウゴザイマシタ」

そんな彼の言葉が私の背中を押す、私は私という物語の主人公なのだ。

 

ソーセージを一齧り、追い掛けるようにストロングゼロをごくりごくりと飲み込む。
あぁ、意外なほど美味しいじゃないか、吐いた息が白くなって夜空へと昇ってゆく。

ソーセージだけをこんなに大切に食べるなんて随分と久々だと思う、今日もまともに食事もしていない私には十分なご馳走だった。


生きてていいことなんて無いけど、死ぬほど悪いことも無いな、そう思いながら私は家までの残り15分ほどの帰り道、恐らく途中にある最後のコンビニでもう1本お酒を買うだろう、などと考えつつソーセージをもう一齧り、またストロングゼロを飲み、また歩き出していく。

着替えて、寝るだけの真っ暗な我が家が私を待っている。

6文字

死んだら楽に

 

そんな文字列が頭の中をぐるぐると廻る。

楽とはいったいなんだろうか、死ぬってなんだろうか。

一人の人生というのは驚くほど何も無い、幼児は言葉を一つ覚えるのでも前までは出来なかったことが出来るだけで大騒ぎだが、30代における未知への驚きは皆無だし、好きな人が居たとか、そもそも好きだったとか、全部気のせいだったかもしれないとすら思う、そう、最初から何も無かった。

 

お酒が我慢出来ない、というよりも素面で居ることがしんどくて仕方がない、もし薬で正常な判断力とか感情というものを全て失うことが出来るならどれだけ楽だろうか、でもそうなった人間を誰が人間と呼ぶのだろうか、あぁ、僕は人間を辞めたい。

 

好きな人に好きって言うとか、毎朝遅刻しないようにモーニングコールするとか、今日は話したいって言うこと、何一つ許されないような気がする。

メンヘラなまま、自分に甘えたまま愛されようとするな、そもそも別に愛されてはいないんだけれど、他者の優しさに甘えることが許されない気がする、自分の一挙手一投足が相手の迷惑になっている気がする。

もう全部辞めたらいい、止めたらいい、罷めたらいい、病んでますので。

独りで生きれるようになりたい。

好きな人、とても素晴らしい人なので、自分という異物が存在しない方が良いのだろうと思ってしまう。

きっと言えば被害妄想って笑われる気がする、でも何も伝えないまま時間が経てば思い出されることもなくきっと存在を忘れられるだろうと思う、僕は惨めで矮小なので。

結局のところ、僕が無価値なのが全て良くないので、早く死んだら良いのにね。

それでも「どうしてる?」なんて聞かれたら嬉しいと思ってしまう自分がいる、雑魚か。

 

もうずっと酒を飲んでいる。

約束一つ守れない、何も頑張れない人生だ。

誰の為の人生か、自分の為にはもう何も出来ない気がする。

さよならを教えて

淡い日常

午後10時

 

彼からのLine通知に私はスマホに飛び付く。

「もう通話出来るよ」

それは、私が昼過ぎに送った「今夜は忙しい?」というメッセージに対する返信だった。

私は弱くてズルいので、返信は決まってこうだ。

「大丈夫になったら、かけて」

もう何度、どれだけの時間話したか分からないのに、それでもまだ彼が仕方なく電話に付き合ってくれていて、本当は面倒に思っていたらどうしよう、という気持ちが消えなくて私は最終決定権を彼に委ねてしまう。

程なくして着信音が鳴り響く、通話ボタンを押す。

「お疲れ様」「こんばんは」

二人の挨拶はあんまり合わない、でもそんなことが楽しくて私の心はいつも一瞬で浮わついてしまう。

スピーカーから聞こえる彼の声に耳を澄ます、少し言葉はキツかったりするのに、落ち着いた話し方と優しい声色、また聞いている方が明るくなりそうな笑い声が堪らなく好きで、彼との通話の時間は私の生活の一部、いや中心と言っても差し支えないものになっていた。

 

彼とはまだ会ったことがない、こんな風に話すようになったのもやっと一ヶ月が経ったぐらいだろうか。

共通点は同じSNSをしてたこと、お互い愛する人、今はもう愛してた人の方が私は正しいけれど、別れてしまったばかりということだった。

日々の寂しさを埋め会う関係として互いに都合が良かっただけのはずなのに、私はずいぶんおかしなことになってしまったと自嘲する。

そう、私は彼のことが好きで好きで仕方がないのだ。

 

彼は他人のことをひどく大切に扱う人だ。

無理だと思ったら拒絶する、という彼の口癖は、彼なりの人を嫌いにならない為の生き方なのだと思う。

もう少し適当に、他人に正面から向き合わずに生きた方がずっと楽だと思うのだけれど、彼は一人一人に真剣に接して、そのせいで傷ついたり、苦しんだりしていることを聞くと、そんな不器用な彼が愛おしくて堪らなくなってしまう。

そして、彼が向き合う有象無象の中の一人でしかないことなんてよく分かっているのだけれど、それでも過去の恋愛で散々雑に扱われてきた私には、彼の言葉が渇ききった地面に注がれる水のように思えた。

 

バカで惚れっぽい私だから、気がつけば彼との会話に気持ちが言葉になって溢れ出てしまうのだけれど、その度に彼は「会ったこともない人を好きになれないし、会ってもどうなるかは分からない」と私から一歩離れていく。

寂しい反面、今までを振り返れば耳障りの良い言葉に振り回されて、最後は「そんなつもりじゃなかった」とか「別にお互い本気じゃないでしょ」なんて雑に捨てられるのが関の山だったから、彼が私のことを真剣に思ってくれてるからこそ距離感を大切にしてくれているのだと思うと、私はまた一歩彼に近付こうとしてしまう。

 

私はもう子供じゃないから、彼に会いに行くことなんてとっても簡単なことなのだけれど、近くないけど遠くもない将来に会う約束だけをしている。

昔の私だったらこんな日記を書いてる暇が会ったら明日の始発に乗って会いに行ってただろうに、悲惨な恋愛ばかりしてきたからすっかり臆病者になったようだ。

彼に会って、好きになってもらえなかったら、それだけならまだいいけれど、もしも彼に嫌われて二度と話すことも出来なくなってしまったら、そんなことを考えると不安で上手く呼吸も出来なくなってしまう。

それでも、私は彼に会いに行く、もう少し先のこと。

「あなたの好きな人、私にしてみませんか」