駄文17

インターネットアンヘルシーメンタル病患者

さよなら逃避行

あっという間に2021年が終わったような、何だかとても長く苦しい時間だったような、でもそんなことは大体毎年言っているのである。

 

2021年、年明けから早々に引越作業に追われつつ、2月には第二子が産まれ、4月には転職し、7月に別居、8月には実質離婚、そして子供の顔を見た最後の日になり、そこからは寂しくも自由な日々を過ごしていたら気がつけば年末、そして東京への転職と転居を頑張る今である。

 

引越作業をしていて思うのは、余計な物というか、家には要らんものが多いな、と思う。

自分は大概モノが捨てれない、ヒトも捨てれないと思うが、実際の所は捨ててはいけないモノとかヒトの方を捨ててしまっている気がする、そして元嫁も同じ様な人間だ。

置いていく側は楽でいいよな、と大量の荷物を前にして愚痴りたくもなるが、子供を置いて東京に帰る自分もきっと楽に生きていると思われているのだろう。

 

正直、産まれるまでは子供を愛せるか非常に不安だったので、今も子供の荷物を整理しているだけでつらくなってしまう自分に対して、意外と人間らしい所もあるのだと感心したりする。

ただ、逆にこんなに理不尽に離婚を突き付けられた上で、子供とは2度と会えないという状況になった今でも、今はもう元嫁に対して怒りとかをあんまり感じていないどころか、荷物を整理しながら確かに好きだったのかもしれないな、と思えている方が少し異常なのかもしれない。

許すのは得意、許さないことは疲れるので、三宿ジーザスと呼ばれた僕です。

 

そして佐賀の街、「こんなことになるなら来なかった方が良かったって思うでしょ」なんて、ここ最近の身の上話をすると言われたりするのだけれど、本当にそんな風に思わないんだよな。

凄いお金掛かったし、人生をだいぶ無駄にしたと思われるのだろうけれど、結局は生きてる限り無駄な瞬間なんかなくって、死にたかった僕も、上手く生きれなかった僕も、大切じゃあ無いけど必要だった僕なんだろう、いや現在進行形で上手く生きれてはいないのだけど。

 

年末年始に東京に帰った時に、久しぶりの電車や東京の街並みに、懐かしさより戻ってきてしまったのだな、という感情の方が大きかった、そして東京で暮らし始めて半年もしたら、きっと色んなことを忘れてしまうのだろうと思う、人間は弱くて強いので。

 

結婚も子供も素晴らしいものだったけど、自分には向いていなかった、ただそれだけで、それが分かっただけでこの5年は十分に価値があったのかもしれない。

頑張ってもダメなことが多い人生をどうか頑張れますように。

 

さよなら、幸せだと思い込んでいられた一時に。