駄文17

インターネットアンヘルシーメンタル病患者

百合の花が咲くだろうか

増田に書いた話

 

私はどうやら普通じゃないらしい、気がついたのは小学生の頃に友達同士で言う「◯○ちゃん大好き!」が私の場合だけちょっと違うよね、とクラスで話題にされたことだった。周囲から孤立し、自分が異質な存在であることを自覚したと同時に、これを隠して生きていかなければならないのだと子供心に思った。

当時はLGBTなんて言葉は見たことも聞いたこともなかったし、ゲイと言えば黒いタイツを来たお笑い芸人のふざけたイメージで、レズもなんかAVとかエッチな業界の言葉ってイメージだった。

高校生になっても、小学生の頃のトラウマがあったせいか当たり障りのない関係は築けるが壁を作って過ごしていた。

一方で「私が男だったら◯○と絶対付き合ってる!」みたいなことを大声で話すクラスメートに酷くイラついていた、そんなこと冗談でも言うべきじゃない、もし相手が女性のままのあなたを愛したいと心に秘めているかもしれないのに。

そんな言葉は全てを否定する言葉じゃないか、と。

 

2年生になる頃、私を含めた「いわゆる同類」の人間たちが何となくお互いを察して、自然とよく会話するようになった。

皆で集まる訳ではなく、それぞれが個別で会っていた。

だって誰かが誰かを好きだったりしたし、私たちがグループとして目立つことは避けなければいけなかったから。

そして私たちはいびつな生き物だったので、校舎裏とか、屋上とか、そういうところでそっと抱き締めあったり、隠れるようにキスをしていた。

教室でぎゃあぎゃあ騒ぎながら好きなアイドルや彼氏について話すクラスメートを羨んでいたのか、見下していたのか、私たちの恋愛感情は人目がある環境ではまともに育てられなかったので、先生にも友達にも家族にも見つからないように厳しく大切に育んでいた。

 

今ではテレビに様々な性別、性的指向を持つタレントさんが出演し、SNSでもLGBTに関する話題が止むことはない。

不安定でか弱い年頃の女の子が、他のクラスメートが和気あいあいと話す男の子の話題と同じように、ゆるく楽しく好きな女の子について語れる時代が、来ているといいな。

私からは離れないよ

元嫁がよく言っていた言葉。

結局、全部、嘘になってしまった。

 

「私から離れることはないよ」そんな元嫁の言葉に、僕も、きっとあなたも甘えて、胡座を搔いていたんだろうなって思う。

「あなた」って呼ぶことは慣れない、ずっとまりちゃんがいいね、いや、よかったね。

 

「私からは離れることはない」の裏側に「私は離れないために何もしない」があった気がするし、僕も「あなたのこと、何があっても大好きだよ、何もしないけれど」という甘えがあったのだと思う。

最初は「全然好きじゃなかった」けど、気がつけば「好きで好きで仕方なかった」よ元嫁。

もっと家族で居たかった、子供と、元嫁と、何処かに出掛ける時間がもっと作りたかった。

動物園も、水族館も、USJだって行けなかったね、僕はもう誰もいない、で生きていく、いや生きていきたくないけど全てを奪われたので、悲しい。

 

ごめんね。

 

お酒、メッチャ旨い、全てを忘れさせる。

新しい人生を生きよう、無理~~~

30年生きても死ぬのが下手な臆病者

私です。

 

自分に自信が欲しい、誰かに必要とされていたい、命題である。

 

ずっと一緒に居たいから、受け入れて、居場所を用意して、猫を飼ったりして、結婚して、故郷を捨てて、子供が出来て、もっと良い環境を作って、それでも離れていくのが人間である。

いっそ何にもしなければ良かった、それなら「仕方ないね」が言えたから。

これだけ頑張って、たとえその頑張るが常人にとっては当たり前のことであっても、僕は頑張ったんだけれどなぁ、というお話で、今の自分はひどく臆病者になっている。

 

「迷惑じゃないよ」と言われても、一つ一つの言葉が全て相手の重しになっている気がする、それでも確かめずにはいられないのだ。

石橋を壊れるまで叩いて「渡らなくて良かった」と安堵して、目の前の道を全て壊すような人生だ。

 

僕の命は軽過ぎて、何でも出来てしまうし、何処にでも行けるのだけれど、それを他者に求めてはいけないのにね。

毎日好きだと言ったのに、あっさり死んでしまった。

弱過ぎる僕をどうか、許して、いや許さないで欲しい。

 

誰も居なくなった。

誰もいらなくは、なれない。

孤独を愛せ

改めて思う、孤独であると。

5年間の同棲+結婚生活、その前も実家暮らしで女を食い繋いで生きてきたので、誰も居ないし誰にも連絡出来ないという環境は10年以上振り、もしかしたら初めてかもしれないと思う。

 

今日は台風で会社が半休となり、明るい内に帰ってこれたけれど、特にやりたいこともなくて、家の中にある元嫁と楽しく過ごせていた(と僕は思っていた)頃の遺物を見て、悲しくなって、結局は酒に逃げているという現在だ。

元嫁、どうか健康で、子供と楽しく過ごしていて欲しいと思う。

実家で虐待されていると嘘を吐いて東京に出てきて、僕が追い出したと嘘を吐いて実家に帰る、僕らは大人だからまぁいいけど、子供に嘘を吐いて出ていかなければならない事態がどうか起きないで欲しいとずっと思っている。

 

楽しいことが欲しい、職場では毎日ハッピーに生きようと言っているし、離婚協議中を振りかざして自虐ネタをするのは最強なので楽しいけど。

飲酒、飲酒ばかりの毎日。

 

台風なのでジムはお休みです。しっかりしろ、痩せろ。

頑張ろう。

あなたの愛はいらない、私はそんなモノを愛とは呼ばない

至高の名言であり、僕に向けられた最大のテーマのように感じる。

お酒、今日は飲まないといつも思ってるんだけれど、気がつくと理由付けて買っちゃうんだよな、だから依存症なんだろうけれど。

 

自分の恋愛、基本的に加点方式なんだけれど0点の時点でセックスもするし「愛してる」とか言ってしまうからダメなんだよな。

自分の中では点数が増えてることで愛情は深まってるつもりなんだけれど、相手からしたらいつまでも変わらないダメなヤツなので、頑張ってるんですけれど。

僕の中では100点満点なお前は、自分を0点の女と比べて「誰にでも同じこと言ってるんだろうな」とか思っていたりするのだろうなって、いや全部僕がダメなんですけれど。

人付き合い、最初から自分の全部をさらけ出すな、メンタルがおかしくなると男相手でもセックスするのやめろ。

 

真面目に書きたいことあったはずなんだけれど、頭がアルコールに蝕まれてしまったらもうダメで、ただ思い付いたことをスマホに投げつけるだけになっちゃうんだよな。

君がいれば他に何にもいらないよ、きっと。

 

指輪を外す、女子高生に恋をする

女子高生に恋はしません。

 

結婚指輪を外した。

離婚で話を進めていくことが正式に決定してもしばらく着けていたけれど、もうどうしようもないと分かっていたれど。

単純にデザインが気に入ってたのもあるし、ペアで40万近くしたのに1年も着けないんかいみたいな勿体無いという気持ちもあるし、まだ好きかもしれないなと思ったりもしたけど、先を見なきゃいけないし、筋トレする時にちょっと邪魔だったので外しました。

指輪が届いてから本当にずっと着けていたので、自分でも気がつかない内に親指で指輪を触る癖が出来ていたようで、指輪が無いと逆に違和感があるようになっていた。

でもきっとすぐに慣れてしまうのだろう、家に帰ってきても誰もいないことと同じように。

 

9月の初めからジムに通い始めた。

家でダラダラしてると気がつくと飲酒してしまうし、健康になりたい気持ちは無いけれど痩せてモテたいので頑張ろうと思います。

家でお風呂入るよりもジムで済ませる方が結果的に光熱も安く済むので、意外と悪くないなってなりました。

5年掛けて太ったのでそう簡単には元に戻れないだろうけれど、地道に続けていれば無くなると信じています、この脂肪も、ふとした時に「家族みんなで過ごせたらな」と思う気持ちも。

 

今日はずっと元嫁と観ようと話していた『JOKER』を観ました。

前評判が凄すぎて、悪い映画じゃないんだろうけれどちょっと期待はずれでした。

というかわりと今自分の人生がどん底にいるので、ちょっとした映画やら何やらじゃ僕の心は抉れねーぞ、っていう気持ちになってしまっているせいもあるかもしれない、あるのだろうな。

期待して、期待し過ぎて、それは最早依存になっていて、まさに僕の人生というか、結婚生活というか、家族の営みというか、一生無くならないと信じているものほどあっさりと失くなってしまうものなのだと思います。

 

もう会わなくても大丈夫かもしれないと書いた日、子供の夢を見た。

恐らく元嫁の実家で、子供を寝かしつけるけれどなかなか寝なくて、僕はもう帰らなければいけない時間になって、大泣きする子供を真っ暗な部屋に置いて外に出る。

部屋の外には元嫁がいて、いつになったら籍を外すのかという話をする、リアル過ぎるでしょ。

夢の中でぐらい皆ハッピーだったらいいのにね。

 

独りの時間は死ぬ程快適で、生きる意味が無いぐらいの人生だ。

お前は笑うだろうな、「生きる意味があったことなんて無い癖に」と。

断酒、それは厳しい

健康のために酒は止めれないが、ダイエットのためならと酒を止めたが、3日が限界でした。

お酒を飲んだ方が文章を書く気にはなるんだけれど、何を書きたいか分かんなくなっちゃうんだよな。

 

離婚が決まって、色んな人と話すようになった。

離婚をすること、それは子供と2度と会えないことを覚悟すること、それはもう、出来ているかもしれない。

子供の幸せ、それは親が奪い合うものではなく、譲り合うものだと思うので。

 

書きたいこと、沢山あるけれど、酔っていると頭は廻らない。

お魚食べたいので、来週の休みは唐津に行こうかな。

 

死にて~~~